菊五郎・菊之助 役者のことば

2012年12月27日 「一年を振り返って」 尾上菊之助

ご無沙汰しております。

今年は、一年で十五の役を初役で勉強する機会に恵まれました。全力を尽くして舞台を勤めることができましたのも、皆様のご後援があっての事とお礼を申し上げます。
年頭は、一月『金閣寺』の雪姫、二月『直侍』の直次郎、三月『忠臣蔵』の判官と三ヶ月大役が続きました。女形として三姫を演じるのは、気の張るものです。

年の初めの1月に、梅玉の兄さん、三津五郎の兄さんとご一緒に時代物の姫を勤めさせて頂けたのは、ありがたい事で、ただ舞台面が美しいだけではいけない。大きさをみせることの大切さを学ばせて頂きました。
二月の『雪暮夜入谷畦道』ですが、二00八年十月に、歌舞伎座で、父の直次郎で三千歳を勤めた事がございます。二十五日のあいだ、父の芝居を見てきたわけですから、立役に回るのはまた、別の感慨がございます。家の藝ともいうべき世話物で、三千歳と直次郎、この二つの役を勤める事ができたのは何よりありがたい事です。
そして三月、祖父梅幸が得意と致しました『仮名手本忠臣蔵』の判官です。この月は通しでしたが、判官一役となりました。このお役はやはり息を詰めて死に向かう役です。無念を残してこの世を去るのですから、役者も相応の覚悟が必要です。まだまだではございますが、これからも繰り返し演じる機会が与えられればと思います。
五月は三度目となりました大阪での團菊祭です。『封印切』の梅川、『寺子屋』の千代、『太十』の十次郎と一月に三役を勉強いたしました。藤十郎のお兄さんの相手役として上方の狂言で梅川を勤めさせて頂く事が出来たのは、東京の役者としてはかけがえのない事です。単に上方の言葉を使えばいいというのではありません。からだのこなし、やわらかさをなんとか出せないか一ヶ月間考えながら勤めました。
『寺子屋』の千代、『太十』の十次郎いずれも一筋縄ではいきません。役を演じるのではなく、役を生きる事。それには、型を尊重しつつ、性根をしっかりと持つ事が大事だとこのごろつくづく思うようになりました。技術がそなわってこそ、はじめて心をうんぬんできる。身がすくむ思いではございますが、舞台ではあくまでその怖れを見せてはいけない。これから一歩一歩、歩みを薦めて参ります。
さて、今年の巡業には、やはり賭けたい気持ちがございました。『義経千本桜』ですが、「四ノ切」の忠信は、射程に入っておりましたが、「鳥居前」の忠信を私が勤めるとは思ってもおりませんでした。これも公文協の巡業で、お客様に楽しんで頂く為に、松緑さんと日替わりになった事で実現した企画だと思います。私は世話物を中心とする菊五郞劇団に育ちましたので、荒事の役を演じる機会に恵まれませんでした。今回、「鳥居前」の忠信を勤めてみて、私は女形でとか、二枚目とか決めつける事はないのだ、どんな役でも挑戦してもよいのだと、観客の皆様に教えて頂いた気がします。これから本役になるかといえば、勉強を重ねなければいけませんが、役を頂いた時に「いえ、とても荒事の役はできません」と即座に遠慮する事もない。私でもできるお役があれば、前向きに挑戦していきたいと思うきっかけを与えてくれました。
十月は、なんと『伊勢音頭恋寝刃』のお紺でございました。縁切物の大役です。このお芝居は、どうなのでしょうか、お紺がやりすぎてはいけないような気がいたします。女形でいれば、お鹿や万野が芝居をするのを、お紺は見守るべき立場なのかもしれません。左団次の兄さん、父の万野を見ると、立役が加役で勤める女形の役のおもしろさを教えられました。私も何十年後かわかりませんが、このような役を勤める事もあるのでしょう。どなたかの襲名のときに、私が万野を勤めさせて頂くとの歓びをふっと想像したりいたしました。そんなことが歌舞伎の愉しさなのだと存じます。
十一月は、『四千両』で明治に作られた新作が、いかに当時の風俗を伝えるために緻密につくられているかを学びました。『文七元結』の文七は、たびたび勤めてきた役ではありますが、両国橋の場で、身投げをしようと覚悟しているときの心持ちが、本当でなければお客様はもちろん、娘のお久を吉原にあずけた長兵衛に伝わらないとつねづね思っています。私が向かい会っているのは書き割りの隅田川ではありますが、その川風の冷たさ、川端の石の重さを伝える事ができればと願っております。
そして、今月、十二月は、思いも掛けず『籠釣瓶花街酔醒』の八ッ橋を演じる事ができました。この狂言が実現するには、夏の頃から父にこの狂言、しかもあばたの次郎左衛門をお願いしたいと話しておりました。父もインタビューで明らかにしておりますように、はじめから積極的ではありませんでした。ですが、父自身が先代の勘三郞さんの次郎左衛門の相手役として、八ッ橋を国立劇場、また御園座で演じた経験が大きかったのではないでしょうか。実現したのは、私にとってもなによりの歓びでした。父も次郎左衛門の役作りで考える事があったと思います。メディアでのインタビューでは、父の解釈を聴くことがございましたが、家では特にこうするからと話はありませんでした。玉三郎のお兄さんに八ッ橋の役を教わり、私なりの八ッ橋を初日に演じるつもりではございました。ですが、女形は立役あってのことです。舞台稽古で、父の縁切り場の解釈、またそれにつなげての殺し場を受けて、私の性根もかたまりました。まず、見染めでは、常にこの狂言では話題になった「笑み」を吉原全盛の花魁のものとして、次郎左衛門とは大きくはかかわらない事。立花屋店先では、江戸の粋をかもしだす事。縁切り場では、この吉原に生きていることの絶望を大きく伝えること。殺し場では、生きていたい、行き続けたいという気持ちと美しく死んでいく型の真実を伝える事。さまざまな課題があり、到底、皆様に伝える事ができたとは思いませんが、そのような事を考えつつ一ヶ月を勤めておりました。
この一年が終わり、また、新しい一年が始まります。哀しく辛いことを引き受けての一年です。新しい歌舞伎座が始まる。そのときにいかに真を打つ芝居を舞台に乗せられるかが、微力ではありますが、私の課題だと思います。どうぞ、皆様方のご支援を賜りますようにお願い申し上げます。歌舞伎のために全身全霊を捧げる。その精神は、亡くなった勘三郞のお兄さんの意志。それを受け継ぎ、毎日を大切に勤めていきます。


2012年12月22日 「今年もありがとうございました」 尾上菊五郎

早いもので今年も残り10日となりました。本当に1年、「あっ!」と言う間に過ぎてしまいます。

来年は3年間待ちわびた歌舞伎座が、いよいよ4月に開場致します。

この3年間には、色々な事がございました。東日本大震災はじめ数々の天災、歌舞伎座の開場を待ちわびた方々のご逝去、大きく変わった政局、不況などなど…。

その間も、歌舞伎を支え劇場に足をお運び頂いた皆様には心より感謝致しております。

来年もより一層心を引き締め精進して参る覚悟でございます。

引き続きのご支援を、何卒よろしくお願い申し上げます。

日毎に寒くなって参りました。お身体ご自愛の上、良いお年をお迎え下さいませ。