菊五郎・菊之助 役者のことば

2010年5月6日 大題に菊五郎の名前が入ると言う事

四月二十八日に歌舞伎座「御名残四月大歌舞伎」の千穐楽を迎え、二十九日は「歌舞伎座修祓式」、そして、三十日の「歌舞伎座閉場式」を終え、新幹線に飛び乗り大阪に入りました。
歌舞伎座に思いを寄せている時間は全くございません。
五月は大阪での初めての「團菊祭」でございます。やはり、大題に自分の名前が入ると言う事、そして、私の生まれる前より続いている「團菊祭」は、特別でとても責任ある興行だと思っております。
「菊五郎」の名前に関しましても、襲名致しました頃は、先輩方が沢山いらっしゃいまして盛り上げて下さいましたので、私自身あまり重くは感じておりませんでした。むしろ、最近の方が、音羽屋の大切な名前であると同時に、歌舞伎界の偉大な名前でもあり、後世に繋げていかなければなりません、自分が上の立場になってきた事もあり、非常に大きな責任を感じております。
出演演目は、昼の部は「勧進帳」の富樫。考えますと、「待て!」「どうぞ行って!」「待て!」「どうぞ行って!」の繰り返し。弁慶が心を打つ弁慶でしたら自然なのでしょうが…難しいお役です。
夜の部は「髪結新三」江戸弁の啖呵、姿かたち、犯罪人なのに魅力のあるいい男。きっと江戸には、こんな男が沢山いたのではないのでしょうか。とにかく男の色気、魅力を存分に出したいと思います。
そして、「團菊祭」ですので、松竹座に五代目菊五郎、九代目団十郎の胸像を歌舞伎座より移して頂きました。この二人が明治天皇の御前で展覧歌舞伎として「勧進帳」を演じた事により歌舞伎の地位が向上し、今の歌舞伎がございます。ずっと歌舞伎座にございましたので、大阪の皆様には初お目見えでございます。ご覧下さい。
とにかく、なにより「團菊祭」が大阪にも末永く根付きます様、ご後援の程、よろしくお願い申し上げます。


2010年5月6日  初役を三役勤めております

今月は大阪松竹座で、初役を三役勤めています。いずれも今の私にとっては、大役ばかりです。役者が一歩、一歩、階段をのぼっていく過程ではありますが、全力をつくしております。

時蔵のお兄さんの八重垣姫、錦之助のお兄さんの勝頼とご一緒させいただく、『十種香』は、八重垣姫が三姫のひとつであることもあり、丸本物の大作です。私は、平成十二年の歌舞伎座で八重垣姫を勤めておりますが、その作品の格調の高さに圧倒された覚えがあります。自分が濡衣をとは、正直いって思ってもおりませんでしたが、とてもいい機会を与えてくださり、勉強させていただいています。

『髪結新三』の勝奴は、自分から父に、やらせていただきたいと願い、実現した役です。女方を中心に勉強してきましたが、いずれはと思ってきました。菊五郎の家に生まれた以上、父の当たり役を継承していくことも、大切な仕事だと思っています。いつか新三をつとめるためには、父の背中を見ながら、江戸の粋をつぶさに体験しておきたいと思いましたので、あえて、「やらせてほしい」と願いました。いざ、舞台にあがってみると、父の芸を盗むどころか、自分なりの勝奴をつくりあげることに必死です。

さて、『摂州合邦辻』の玉手御前でございます。昨年の九月、文藝春秋の方々と取材で、大阪の合邦堂を訪ねました。祖父梅幸、父菊五郎と続いてきた家の芸ですから、いずれは自分もと思っておりましたが、まさか、こんなに早く機会が回ってくるとは思いませんでした。玉手は「出」から、落ち入りまで、女性のさまざまな面をみせます。現代の女性だったら、どのようにこの短い人生を懸命に生きるのだろうと考えるようになりました。
玉手御前は、私の役者としての人生をともに歩んでいく役でございます。ぜひ、ご覧いただき、未熟な役者の精一杯の舞台を見届けていただきたいと存じます。
ありがとうございました。